[RADICA]19990711-05:00

■ Mail Magazine[ R a d i c a ]ラディーカ   1999年 7月11日(日) 05:00 第397号
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■ ボストンバッグ
                                                  堀場 康一
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● おとぎの国

	ぼくのたどってきた道は
	たしかに平坦だったとは言いがたい
	（と切り出してはみた）が
	それがなんの誇りとなろう

	ぼくはありとあるまなざしに出くわしたものだ
	軽蔑のまなざしやら羨望のまなざしやら
	血走ったまなざしやら無気力なまなざしやら
	疲れはてたまなざしやら新鮮なまなざしやら
	あどけないまなざしやらきびしいまなざしやら
	ぼくは町を歩いた
	文明のささやかな恩恵にさずかりながら
	どことなく歩きまわったものだ
	排気ガスと騒音でいっぱいの道路
	隅っこでがやがやひしめく子供たち
	空調の効いた季節感のない部屋
	日の沈むころあちらこちらにほのかな明りがともる
	酒やたばこにひたりながら誰かれとなくたむろする町　町

	ぼくはどこを見つめていたのか
	何をさがしていたのか

	新聞はあいかわらず与党の不可思議な立ち回りを告げる
	ミグ二五が突然着陸したらしいが
	滑走路はけがをしなかったろうか
	ロッキード場所の千秋楽はいつ訪れるのか
	幕がおりればまた　もの静かな生活がはじまるのかしら
	そういえば火星ははるかに静かな星なんだって
	「ソ　ソ　ソクラテスかプラトンか
	みんな悩んで大きくなった」
	ウイスキー片手の黒めがねのおじさん
	ずいぶん機嫌よく歌っているけれど
	ばばさまもじじさまも
	こんな具合に大きくなったのだろうか

	おやおや顔を皺くちゃにしてテレビを見ていなさるが
	そんな恰好ではからだによくありませんぞ
	もっと気を大きくもって
	お酒もほどほど
	たばこもほどほど
	文句もほどほど
	ひょっとしたら　あなた
	「人間たちはいつもくだらないことをくり返して
	悦に入っている」
	とおっしゃりたいのではありますまいか
	さよう
	進歩をもてあそぶわりには進歩しないのが人間のなりわい
	しかし　あなた
	悦に入る姿などかわいいとは思いませんか
	この世に生まれ落ちたのが宇宙の気まぐれなら
	限りなく透明に近づこうと
	そらやかましい旋律に身をくねらせてみたり
	とりとめもない呪文をとなえながら
	アスファルトの舗道を行ったり来たりするのも
	おもしろい光景ではありませんか
	さあ
	人間さまの弁護をしましょう
	せいいっぱいのお世辞をふりまき
	せいいっぱいの笑みをつくろい
	手に負えない人間さまの
	そこはかとない弁護をいたしましょう

	　*

	うらの空き地を通りぬけ
	あそこの美容院のかどをまがり
	あきかん浮ぶ善福寺川を越え
	仲通りをてくてく歩けば
	まもなく荻窪駅です

	みなさん　朝は一秒が勝負です
	排気ガスも騒音もかまってはいられません
	すこしでも近道をえらびましょう
	一秒でも長くふとんとたわむれるためにも
	みなさん　近道をさがしましょう
	さあ　人生はきびしいのです　遊びではありません
	ひもじい想いをしたくなければ
	灰色の高官さまでもないかぎり
	働かなくてはいけないのです
	それが人生です　人生というものです

	　*

	ぼくの足はどこを向いているのか
	なにを語ろうというのか
	きみの姿は見あたらない
	虫たちの声が耳元にしのびよる
	ひっそりとした秋の気配

	そうだ
	愛について語るとしよう
	あるいは希望と誘惑について語ろう
	傲慢さと臆病さについて語ろう
	哀愁波止場からの船出について語ろう
	あひみてののちの心について語ろう
	祇園精舎の鐘の声について語ろう
	空と海のあおさについて語ろう
	たよりなさともどかしさといらだたしさについて語ろう
	耐えられないことや取り返しのつかないことについて語ろう
	おせっかいやおせっきょうについて語ろう
	犬や猫のささやきについて語ろう
	みそ汁のかおりについて語ろう
	目覚し時計と夜明けについて語ろう
	でくのぼうとあまのじゃくについて語ろう
	自我と定立と存在について語ろう
	形而上学と集合論について語ろう
	スモッグたちこめるわが町について語ろう
	流れゆく雲の行方について語ろう
	瞳をとじて名もない島について語ろう
	太陽とまざり合う海の情景を語ろう
	ローラースケートをはいて生活様式と伝統について語ろう
	いつまでもビートルズがもてはやされるまことしやかな理由について語
	　ろう
	お化けと空飛ぶ円盤の神妙な立ち現われについて語ろう
	輪廻と因縁と運命について語ろう
	よれよれのコートにズボンをはいたコロンボのかみさんについて語ろう
	アパートの家賃とふところぐあいについて語ろう
	魚の煮かたと焼きかたについて語ろう
	比較的安いたまごと安くならない牛肉について語ろう
	冷蔵庫のなかの生まものの痛みぐあいについて語ろう
	適切で安全な避妊法について語ろう
	遺伝子工学の展開とその倫理について語ろう
	素粒子物理学の今後と化学の未来について語ろう
	おいしいお茶の入れかたと和菓子について語ろう
	大手スーパーの進出と中小地元商店街とのあつれきについて語ろう
	看護婦さんが注射を打つ速さとそれに伴う痛みとの関係について語ろう
	地震が来たらあわてふためくであろう自分の姿について語ろう
	運命共同体的地下鉄の車内について語ろう
	満員電車にはてしなく揺られるサラリーマン稼業について語ろう
	努力しないで出世する方法について語ろう
	日ごと夜ごと日本じゅうを騒がせる　気まぐれ台風とマスコミ旋風につ
	　いて語ろう
	ひまを見つけてはスピーカーにかじりつく　音マニアの禁欲主義的理想
	　について語ろう
	エンジンの響きあたりいちめんにまきちらし　真夜中の国道を北から南
	　へとつっぱしる　バイク集団の刹那主義について語ろう
	ときにはマンガを読み　ジーパンがよく似合い　風船のようにただよう
	　当世若者気質について語ろう
	全共闘世代とヒッピーたちの今について語ろう
	手もちぶさたに赤ん坊をあやす　口数の少ない母親や父親について語ろう
	学校と塾と家庭教師とテストに追いまくられ　広場で遊ぶのを忘れかけ
	　ている　子供たちの行く末について語ろう
	テレビ・ラジオ・ステレオの三種の神器を珍重する現代人に流行しつつ
	　あるとなりはなにをする人ぞ　無反応的無指向的知覚鈍化興味喪失想
	　像力低下症候群について語ろう
	毛さんとポアロさんの死について語ろう
	死してしかばね拾うもののいないお江戸の隠密同心について語ろう
	四谷怪談お岩さまの亭主のこらしめかたと　播州皿屋敷お菊さまの皿の
	　枚数のかぞえかたについて語ろう
	高尚やら野暮やら　抽象やら具体やら
	進歩やら退歩やら　要領やら妥協やら
	相対やら完全やら　構造やら要素やら
	組成やら転移やら　静止やら運動やら
	反応やら作用やら　言葉やら記号やら
	上やら下やら　右やら左やら　前やら後ろやら
	手当り次第にこの世の出来事を語るとしよう――

	おやまあ　ほんとに精がでますな
	根気がなくちゃとてもたまりませんや
	ちょっくらひとやすみといきませんか
	冷たい水で顔を洗いなすって
	トマトジュースを一ぱい飲みなされば
	宿酔もいくらかさっぱりするというもんです
	ねぼけまなこで町を歩いて
	誇り高き自転車さまにはねられでもしたら
	それこそ万事休すですからな
	ところであんた
	宇宙のほら穴をのぞいてみたことがありなさるのか？

	　*

	ぼくらは
	欲望と道化と倦怠がいりみだれ
	札束と電波と自動車がとびかう
	おとぎの国にいて
	レストランの入口でおじぎをくり返す自動人形のように
	机やひざをたたいてはぼんやりと気を紛らしている
	あしたお日さまが西からのぼったら
	ぼくはため息をつくべきか　それとも
	目をつむるべきか
	きみの熱さも冷たさも
	ぼくにはわからない
	「眠れ　わるい子たち！」
	深夜放送の優しいささやき声
	ぼくのイメージがとぎれる……
	しかるにぼくらの夢は消え入りそうで消えないのではあるまいか

[付記]
　いまをときめく村上龍さんが、『限りなく透明に近いブルー』で
鮮烈な文壇デビューを果たしたのは昭和51年でした。その頃私は、
東京・荻窪のアパートに移り住み、通勤電車に乗る荻窪駅への近道
を見つけるべく、毎朝路上で頭をひねっていたのでした。
　終わりの方の「眠れ　わるい子たち！」は、当時作家の片岡義男
さんと一緒に深夜のFM東京・音楽番組のDJをしていた、ジャズ歌手
の安田南さんが、いつも番組の終わりにマイクに向かってささやい
ていた言葉です。これをまじないのように聞きながら、私は眠りに
着いたものです。
　この「おとぎの国」には、カタログ的な生活を送ってきた私の思
いが詰まっています。それらの思いは結局どれも捨てることができ
ず、今も私の記憶のポケットにしまってあります。（作者）

[ 堀場 康一 oliver@anet.ne.jp ]
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